8月18日放送の世界一受けたい授業では「マンガの王様!石ノ森章太郎の全て」を特集。
仮面ライダー、サイボーグ009、ゴレンジャー、HOTELなど数々の名作を残したマンガの王様「石ノ森章太郎」。
「漫画家に必要な才能の8割は体力」と語り生涯で770もの作品を発表、最も多くの作品を一人で書いた漫画家としてギネスブックにも掲載されています。
石ノ森章太郎
今年生誕80周年を迎えた石ノ森章太郎、昭和13年に宮城県で生まれ、小学校の頃に見た手塚治虫の「新宝島」に憧れて高校卒業後上京します。
そして今では伝説となった「トキワ荘」に入居、デビュー当時は女の子をうまく書けるという事で少女マンガを描いて生計を立てていたそうです。
世界一周旅行からサイボーグ009へ
とにかく新しいものが大好きで好奇心旺盛だった石ノ森章太郎、当時は高額だった8mmカメラなども購入し、空いている時間は映画館で映画を観たりして原稿料のほとんどを遊びに使っていたそうです。
一番高かった買い物は今の価値で言うと約100万円もしたステレオ、色々なものに興味を持ち色々な表現方法を取り入れようとしました。
そんな石ノ森章太郎は海外旅行が自由化される3年前に世界一周旅行を決行、できた作品が世界各国の登場人物が活躍するサイボーグ009でした。
マンガの神様が嫉妬した作品とは
昭和42年、29歳の時にマンガの神様「手塚治虫」のマンガ雑誌COMに「ジュン」という作品を発表。
この漫画はそれまでに無かったセリフが全く無いマンガ、絵とコマ割りだけで描いた実験的なマンガでした。
これを見た手塚治虫は「あんなのマンガじゃない」とコメントしたそうですが、後日一人で石ノ森章太郎のもとを訪れて謝罪したそうです。
そして「ジュン」を見て嫉妬のあまり批判してしまったと告白、まさにマンガの神様がマンガの王様に嫉妬したエピソードです。
仮面ライダーが大ヒット
33歳の時に発表した作品が「仮面ライダー」、そして昭和46年にテレビ放送が開始すると瞬く間に人気が全国に広がっていきました。
変身ベルトは飛ぶように売れて、ライダーカード欲しさにメインのお菓子を捨ててしまうという事態が起きたライダースナックは社会現象にもなりました。
仮面ライダーは子供向けの作品にホラー要素を取り入れた事で、本当に怖い怪人を倒してくれる仮面ライダーに人気が集まったようです。
他界してからも社会に貢献
晩年、宮城県のために尽力してきた石ノ森章太郎ですが1998年に他界。
その功績を称えて3年後、宮城県石巻市に「石ノ森萬画館」が完成しました。
そして2011年におきた東日本大震災の際には3階の漫画コーナーに40人ほどが避難、マンガを読みながら5日間も救助を待ったそうです。
また震災にあった人々に勇気をくれたのが街中に立つ石ノ森章太郎が描いたマンガのヒーロー像、石巻駅から萬画館まで続く道に設置されていた像は奇跡的にほどんど無傷で立っていたそうです。
感想&まとめ
ご存知の通り「仮面ライダー」は石ノ森章太郎先生が亡くなった今でもシリーズとして続いています、いかに仮面ライダーが世の中に影響を与えた作品だったという事がわかります。
亡くなった後でも作品としていつまでも私たちの心に残り続けるまさにマンガの王様です。