10月23日の「世界まる見え!テレビ特捜部」では「極寒のアラスカ、命がけの犬ぞり隊リレー、伝染病のワクチンを運べ!」を放送!
1925年冬、雪と氷に閉ざされたアラスカのノームと言う小さな町で恐ろしい伝染病が蔓延、多くの子供たちが次々と倒れ死の危険にさらされていきました。そんな危機的状況を救うべく立ち上がったのが賢くタフな犬と勇敢な男たち。極寒のアラスカを命がけで駆け抜けた犬ゾリ隊の神ワザともいえる偉業が紹介されました。
目次
小さな町を襲ったジフテリアの恐怖
アラスカ州、ベーリング海に面した港町「ノーム」。当時の主な交通手段は船でしたが、冬になると海はおろか道も雪と氷に埋もれて町は完全に孤立した状態でした。1925年1月、この町に突如病魔が襲いかかります、子供たちがのどの痛みを訴え、そのうち4人が立て続けに亡くなってしまいました。しかも患者の数は増える一方、対応に追われていた町でただ一人の医師「ウエルシュ医師」はその病気が恐ろしい伝染病である事に気付きました。その病気とは「ジフテリア」、高熱や喉の痛みなどの症状が現れ体力のない子供やお年寄りがかかれば死に直面するという恐ろしい感染症。咳やくしゃみをした患者の唾液などから簡単に感染するという恐ろしい病気です。当時は学校や図書館も全て閉鎖されて町は静まり返っていて、外出する時はみんな息を止めて町に出ていたそうです。
血清を一刻も早くノームに
ウエルシュ医師の診療所にはジフテリアの感染が疑われる人々が次々とやってきました。当時はこの病気を治療する手段は馬の血液から作られた血清のみだったのですが、この町の診療所には血清が2、3人分しかありませんでした。しかもそのわずかな量の血清も5年前に使用期限が切れていました。「このままでは子どもたちの命が救えない」そう考えたウエルシュ医師はアメリカ政府に大至急ワクチンを援助をしてくれるように電報を打ちました。それから5日後、ワクチンはアラスカ南部の都市アンカレッジの病院にあるとの連絡が入りました。しかしノームからアンカレッジの距離は実に1600キロメートル、海は氷で閉ざされていて船での運搬は不可能、航空機も使われ始めたばかりで雪と風が荒れ狂う冬のアラスカ上空を飛ぶのは危険すぎました。一刻を争う事態の中で残された手段はただ一つ犬ぞりによる運搬でした。
血清は汽車から犬ぞりへ
当時1600キロメートル離れたアンカレッジからノームまで犬ぞりで郵便物を運ぶのには30日はかかっていました。普通に運んでいたのでは間に合わない、そこでアラスカ知事のスコット・ボーンは出来るだけ早く届けられるようにある計画を立てました。まずはアンカレッジにあるワクチンを汽車の終点である「ネナナ駅」に送り、ネナナからノームまでを各地の犬ぞり走者がリレー方式で昼夜を問わずぶっ通しでワクチンを運ぶという作戦でした。その距離はおよそ1085キロメートル、夜の気温はマイナス50度を下回る過酷なルートです。ワクチンはガラスのボトルに入れられて凍らないように断熱材が巻かれました。そして1925年1月27日、ワクチンがネナナ駅に到着しここからが犬ぞり走者の出番。夜9時、ワクチンを運ぶ命のリレーがついに始まりました。
次々と犬ぞりを襲うアラスカの脅威
トップバッターを努めるのは郵便局で働く「ウイリアム・シャノン」普段は大酒呑みで荒っぽいと評判の彼でしたが子供たちを救うため自分の9匹の犬を連れて志願したのです。だがこの時点ですでに気温はマイナス54度、そんな気温の中で犬ぞりを走らせるなんて通常では考えられません。極寒の雪道を休むことなく走り続け、翌朝第二走者にワクチンを渡した時には9頭いた犬が6頭に減っていたそうです。一方ノームの町ではこの2日間で新たに5人の感染者が発覚、ジフテリアの感染のペースはさらに上がっていきました。犬ぞり隊は1チームがおよそ50キロメートルを走り、休むことなくワクチンを受け渡していきます。リレーの3日目にはすさまじい吹雪で視界が真っ白になり何も見えなくなるホワイトアウトと呼ばれる状況に見舞われ、その時は犬の感覚だけをたよりに走ったそうです。
エバンズが取った勇気ある行動
4日目、12人目の走者は22歳の「チャーリー・エバンズ」。彼がスタートを切った午前4時には気温はマイナス64度にまで達していました。肌が空気に触れるだけで水ぶくれができ、息を吸うと肺が焼けるような痛みだったといいます。それでも彼らは子どもたちを救いたいと言う一心で走り続けましたが、アクシデントに見舞われます。先頭を走るリーダー的な役割の2頭の犬が動けなくなったのです、それにつられて他の犬たちも動きが鈍くなってしまいました。このままではワクチンの輸送が大幅に遅れてしまう、そう考えたエバンズはソリから降り、犬たちを先導するように自らソリを引っ張って次の走者が待つ地点まで歩いて行きました。一方そのころノームの町ではジフテリアはさらに勢いを増し、感染者は16人になっていました。そんな追い詰められた状況の中でウエルシュ医師は使用期限が切れたワクチンを少量ずつ患者に投与するしか方法がありませんでした。
伝説の犬ぞりチャンピオン「セパラ」
その頃、ノームの近くに住む1人の男が東へ向けて犬ぞりを走らせていました、彼の名は伝説の犬ぞりレースチャンピオン「レナード・セパラ」。セパラは少しでも早くワクチンを受け取ろうと数日前にノームを出発していました。誰よりも早く走れる彼は自分ができるだけ長い距離を運ぶ事で少しでも早く子どもたちを救えると思ったのでしょう。セパラはワクチンを受け取ると急いでノームに引き返しました、さらに彼は思い切った決断をします。セパラは陸のルートは使わずに凍った海へと飛び出しました。確かに海を渡れば近道になる、だが凍った海の上は風も強く、しかも氷が割れれば海に落ちて命はありません。それでも自分のカンを信じて凍った海の道を突き進むセパラと犬たち。この時、セパラと彼の犬たちはじつに320キロメートルの距離を休まず走り、次の走者にワクチンを託しました。
ついにワクチンが到着、そして英雄が生まれる
そして5日目の2月2日朝5時半。ついにノームの町に最期の犬ぞり走者「ガンナー・カッセン」が到着しました。こうして20人の犬ぞり走者と犬たちの1085キロメートルにも及ぶ決死のリレーによってジフテリアの脅威に苦しむ町ノームにわずか5日間でワクチンが届けられたのでした。このワクチンで多くの子供たちの命は救われ、1ヶ月後ジフテリアの流行は終息しました。犬ぞりに加わったメンバーは「ノームの英雄」と称えられ、その年に映画化され公開されました。
感想&まとめ
今でも「ノームの英雄」を称えてノームの町では毎年犬ぞりレースが開催されているようです。現代であれば船や飛行機、ヘリコプターなどを使って感染症にかかった患者を設備が整った病院に運ぶ事もできますが、当時は医療技術も発達しておらず交通手段も無かったのですからまさに尊敬するに値するエピソードですね。小さい子供たちのために命をかけて血清を運ぶ行為が誰も止まることなくノームにワクチンが届けれた奇跡を生んだのだと思います♪