9月18日の「世界まる見え!テレビ特捜部」では「中国の謎!8000体の人形・兵馬俑(へいばよう)の秘密」を放送!
兵馬俑の人形を作ったのは中国人では無く実はギリシャ人だった?今まで知られていた歴史が変わるかも知れません。
そんな仮説を数々の証拠を交えながら検証していきます。
目次
中国初の統一国家「秦(しん)」
今から2200年前、紀元前3世紀頃の中国では7つの国が領土を争っていました。
その中で本格的な軍隊を組織して周りの国々を圧倒したのが秦。
紀元前221年にはついに中国を統一、秦の王は始皇帝として中国を支配する事になりました。
始皇帝と言えば万里の長城を作った事で知られていますがそんな始皇帝が残した遺跡として兵馬俑があります。
兵馬俑とは?
秦の始皇帝の墓から東に1.5kmほど離れていたところに埋められていた兵や馬の人形群の事を言います。
俑は中国語で人形の意味、兵や馬の人形(俑)だから兵馬俑というわけです。
始皇帝が自分が死んだ後も来世で軍隊を率いたいという願いから作られたと言われています。
発見されたのは1974年、井戸掘りの際に見つかりました。
兵馬俑の人形の特徴は?
平均で180cmほどもある兵士の像はひとつひとつ顔が違い、型で作ったのではなく全て一点モノ。
身体の細部まで細かく表現されていて作られた当時は武器も持っていたそうです。
その像が約8000体も埋められていたのですからそのスケールには驚きです。
また、現在は茶褐色の人形ですが当時は一つ一つ細かく色が塗られていました。
発掘の際に色が剥がれて現在のような姿になったそうです。
兵馬俑の人形はギリシャ人が作った?
この仮説にはまず兵馬俑に関する大きな謎が関係しています。
当時の中国には兵馬俑のような大きな人形を作る習慣は無く、高さ20cmほどの像が良く作られていました。
しかし始皇帝の時代になって突然、等身大の人形が作られるようになった事です。
当時のギリシャでは
中国が秦の時代にすでにギリシャでは等身大の大きな像が作られていました。
リアリティに徹して作られた像は身体の部位ひとつひとつが細かく再現されています。
当時ギリシャからアフガニスタンに贈った像にも兵馬俑に似ている特徴があるそうです。
ギリシャ人が作ったと言う証拠は?
始皇帝の墓の近くでは上半身裸の大きな人形も見つかっています。
従来は来世で始皇帝を楽しませるための曲芸師と考えられてきました。
しかし鎖骨や足の爪なども細かく表現されている事から当時の中国人にギリシャ人が像の作り方を教えたものではないかと考えられます。
また、アジア人には見られないような特徴を持った頭蓋骨が近くの集団墓地で発見されました。
当時の中国人に像の作り方を教えたギリシャ人のものかも知れません。
中国と西洋の歴史が変わる?
一般的に中国と西洋の関わりは13世紀に東方見聞録を書いたマルコ・ポーロから始まったと言われています。
しかし兵馬俑の人形を作ったのがギリシャ人であるとするならば歴史の解釈は大きく変わるでしょう。
ギリシャ人が兵馬俑の人形を作ったのであれば、マルコポーロより1500年も前にすでに中国と西洋は出会っていたのです。
感想&まとめ
なるほど確かに等身大の人形というのは始皇帝の後にも先にもあまり無い感じがしますね。
紀元前3世紀から中国と西洋に関りがあるのであれば、その後中国で発明されたものも西洋の影響を受けているかも知れません。
あくまで仮定だとは思いますが、仮定を基に歴史を考えてみるのも面白いと思います♪
9月18日の「世界まる見え!テレビ特捜部」で放送された他の内容はコチラ
→世界まる見えでタイタニック号沈没の真相を紹介!氷山では無く火災が原因?