1月15日放送の「世界まる見え!テレビ特捜部」ではアルバニア地方に500年以上続く「ブルネシャ」という風習を紹介。女性としての人生を捨てて男性にならなければならなかった理由や、今も続く悲しい風習の実態に迫りました。
アルバニアの山奥に人知れず暮らす男装の女性たちがいる。彼/彼女たちは「ブルネシャ」と呼ばれ、アルバニア国内でもほとんど伝説の存在と化している。 http://t.co/OT7kglIAfH #アルバニア #男装 #ブルネシャ pic.twitter.com/gq12nY7yGT
— GQ JAPAN (@GQJAPAN) 2015年7月16日
目次
アルバニアの宣誓処女
「私はベドリ・ゴステローニ、1957年生まれだ。訳があって今の人生を選ば中ればならなかった、真の男としての人生だ…。」
実はこの男性は「ブルネシャ」と呼ばれる男装の女性、彼はある定めによって女から男へと変わらなければならなかった。この「ブルネシャ」はアルバニア山岳地方に100人ほどいると言われているが、その存在は謎に包まれている。一体何のために?どんな人生を送ってきたのか?「ブルネシャ」の実態を追ってアルバニアの山岳地帯を調査する。
「ブルネシャ」を選んだ女性たち
アルバニア北部の山岳地方でロシアのジャーナリスト「クリーバス」と取材班は「ブルネシャ」を探していた。「この地では「ブルネシャ」は公にはされたくないとてもデリケートな風習です、くれぐれも強引な取材は下げてください。」と語るのはアルバニアのジャーナリスト「リンダ」。
「ブルネシャ」は500年ほどの歴史を持つとされる。アルバニア北部は男性優位社会で女性は子どもの世話と家庭の維持に制限されていて、男性に対する口答えはおろか財産さえも受け継ぐことが許されない。そのために男性の相続人がいなくなった女性だけの家庭は生活が成り立たない、しかし女性が男性へ変わる事で家長となり財産管理を受け継ぎ家系を守る事ができるのだ。
「ブルネシャ」は男性と同じように何でもできるが一生処女として生きなければならない、しかし「ブルネシャ」に対して村の人が知らないふりをしているのかなかなか会うことが出来ない。果たして「ブルネシャ」と巡り合える事は出来るのだろうか?
早速「ブルネシャ」の情報が
聞き込み開始から半日、「ブルネシャ」をよく知る村人によると「ハキヤ」という名前の「ブルネシャ」がある家に住んでいると言う。早速取材に向かったが…
クリーバス「こんにちはハキヤさんロシアのテレビ局の者です」
ハキヤ:「柵から中に入るな!」
クリーバス:「私はジャーナリストのクリーバスと言います」
ハキヤ:「今すぐここから立ち去れ!」
クリーバス:「お話だけでも」
ハキヤ:「話す事などない」
クリーバス:「ほんのちょっとでも良いですから…」
ハキヤ:「帰れ!帰らないと痛い目にあわすぞ」
クリーバス:「彼が銃をつかんだのが見えたので事を荒立てるとマズイと思って退散しました、かなり触れて欲しくなさそうな雰囲気でした。」
「ブルネシャ」のインタビューに成功
翌日取材班に朗報が舞い込んだ。おばさんがブルネシャで紹介してくれるという連絡が入ったのだ、取材の条件は目立たないように来てほしいという事。取材に向かった畑で作業する男性が「ブルネシャ」の「ナディラ・キクサ」さん、たとえ男性になっても女性の名前は変えられない。
「俺は9人兄弟の長女だったんだが唯一の男だった俺の双子の弟が死んでしまった。家族を養うためにはブルネシャになるしかなかった、13歳の時だ、それは自分で決めたんだ。それからはタバコを吸い、酒を飲み、男の様に生きてきたよ。掃除や料理なんかはやらなかったが、酪農からトラック修理まで男がやる事なら何でもやらなくちゃいけなかった。女の身体には重労働で辛くて毎晩泣いたよ、結婚は出来なかったが家も畑も家畜も全て守ることができた。」
「このブルネシャという風習は続けて行った方がいいと思いますか?」という問いに、ナディラさんは「さあどうだろうね、俺には分からない」ともの悲しく答えていました。
都会にも「ブルネシャ」が存在した
「ダイアナ・パキピ」さん、通称ラリ、元税関職員。
「兄は私が生まれる前に亡くなった、それ以降は男の兄弟は生まれてこなかったんだ。10代の頃の私は優雅で髪も長く評判の美人だったんだよ、もし女として美に磨きをかけていたらミス・ワールドの代表くらいにはなっていただろうよ…。それでも私は家族を守るためにブルネシャとして生きていく事を決めた、涙が出たが長い髪をバッサリ切ったのさ、それ以来男に交じって理髪店に行っているよ。私たちブルネシャは家族の誰かが攻撃されたら男として命がけで相手に立ち向かわなきゃいけない、そんじょそこらの奴には負けやしないよ」
北部にいる「ブルネシャ」の友達に会いに
「ベドリ・ゴステローニ」さん、冒頭のインタビューに登場した「ブルネシャ」で、無き兄の妻と暮らしてその子どもを育てている。
「家長だった兄が死んで幼い子どもたちを養わなければならなかったからブルネシャの道を選んだんだ、その時俺は25歳を超えていた。今男たちはよく日々の不満を俺にこぼすが、女も辛い時俺の肩にもたれて泣く、俺は男女両方の事をよく知っているからね、頼りになるみたいだ。すまんが子どもたちを迎えなくちゃならない、付いて来てもいいが彼らは年頃だ、話しかけるな。できるだけ離れて撮影しろ、いいな。」
そう言ってベドリさんは旅行から帰ってきた子どもたちを迎えに行った。
「娘と息子は俺を父さんと呼んでくれる、俺も2人の事は本当の子どもだと思っているんだ。俺は車を持っているから、村のどの男も妻をどこかに連れて行かなければならない時必ず俺に頼んでくる。女には手を出さないと思われているんだろうな、もちろん俺だってやましい気持ちなんて持ったことないよ。」
最も高齢な「ブルネシャ」
取材最終日に向かったのは今はひとりで暮らしているという「プレンディ・ペピヨニ」さんの家。
「私がやってきた事は全て家のためだった、3人の兄たちが亡くなって跡継ぎとしてブルネシャになったんだ。背も低く体も弱かった私は男たちの中に入るとそりゃみじめなものだったよ、それでも髪を短くして必死で働き家を守ってきた。後悔はしてないよ。」
そんなプレンディさんも今は髪を長くしてスカートを腰に巻いて取材班を見送った。最後は女性でありたいという気持ちがどこかに残っていたのかもしれない。「ブルネシャ」は今もひっそりと生き続けている…。
感想&まとめ
番組内に出ていた「ブルネシャ」の人たちは皆高齢の方達だったので、今はあまり行われていない風習なのかも知れません。女性の社会進出など考えられない時代が日本にもあったので、あり得る風習だとは思いますがちょっと悲しい風習ですね。インタビューに答えてくれた「ブルネシャ」の皆さんたちの話を聞いているとまるで自分自身を慰めているような話し方がとても印象的でした、自分の好きな人生を選ぶ事ができる今をもっと大事に思わないといけないのかも知れませんね。