8月31日放送の「所さん!大変ですよ」では「不思議なビールの物語」を紹介!
最近、日本各地のありえない場所で大量のビール瓶の目撃情報が寄せられています。
ビール瓶を調査していくうちに戦時中はビール火炎瓶として武器にも使われていたという情報にたどり着きます。
ビール瓶さえ武器として使わなければならなかった当時の状況とはどのようなものだったのでしょうか?
目次
雲仙岳の頂上に大量のビール瓶?
まず取材陣が向かったのは長崎県雲仙市。
標高1359メートルの雲仙普賢岳の山頂で大量のビール瓶が見つかったという情報が入りました。
早速山頂辺りを捜索してみると「DAINIPPON」と書かれたビール瓶が見つかりました。
雲仙普賢岳の山頂には日本陸軍のレーダー基地があった事がわかっています。
そこに駐留していた日本兵が大量のビールを飲んでいたという事が当時の日誌にも記されていました。
そこで防衛省にある防衛研究所で昔の資料を探してみると、中国や南太平洋などにもビールを大量に送っていた記録が見つかりました。
なぜ戦時中にもかかわらず大量のビールが生産されて各地に送られていたのでしょうか?
日本兵の唯一の楽しみであった日本のビール
お話を伺ったのは神奈川県川崎市の元将校の勝又さん。
勝又さんの話によると中国で鉄道の警備にあたっていた当時、中国のビールでは満足できず日本のビールを皆が楽しみに飲んでいたという事がわかりました。
軍隊に設けられた「酒保(しゅほ)」と呼ばれる売店で仲間の皆と日本のビールを酌み交わすのが何よりの楽しみだったそうです。
ビール瓶を武器に?ビール火炎瓶とは?
物資が不足していた当時の日本ではビール瓶を武器として使っていたそうです。
お話を伺ったのは島根県出雲市の柳楽さん。
当時日本とソ連の国境紛争であるノモンハン事件に向かっていた柳楽さん。
お話によるとビール瓶にアルコールやガソリンを入れてソ連の戦車に投げつける攻撃があったようです。
そもそも負傷兵を介抱していた衛生兵が消毒のために持っていたアルコール瓶をソ連の戦車に投げたところ、火を噴いて戦車が爆発したのがビール火炎瓶の始まりでした。
このビール火炎瓶はソ連の戦車を200台以上撃破したとされています。
通用しなくなったビール火炎瓶
初期のソ連の戦車はマフラーが外に出ていて、高温になったマフラーにビール火炎瓶を投げつけると炎が噴き出ました。
その炎が中の燃料にまで引火して戦車を爆発させていたのです。
しかしその後、改良された戦車のマフラーには高温になりにくい工夫が施されてビール火炎瓶は通用しなくなりました。
一度戦車を爆破できたという思い込みがあった日本軍はその後もビール火炎瓶での攻撃を続けましたが、その甲斐もなく結局は敗戦し国境を明け渡す結果となってしまったのです。
日本本土でも使われていたビール火炎瓶
ノモンハン事件で敗北を喫した後でも物資が乏しい日本本土ではまだ、「ビール火炎瓶」が武器として有効であるという風潮が残りました。
その結果、沖縄に上陸した米軍に対してもビール火炎瓶だけで対抗しようとしました。
しかし圧倒的な武力の差によって沖縄の日本兵や民間人はなす術もなく戦死していきました。
ノモンハン事件の教訓が活かされないばかりか、武器が無くても戦えという当時の日本軍のやり方が大きな悲劇を生んでしまったのです。
黒い牛乳瓶や紙のランドセル
ビール瓶を武器に使うしかないように、戦時中の日本では物資が不足してあらゆるものが通常とは違う代替品で作られました。
例えば牛乳の瓶ですが、基本的に法律で牛乳の瓶は中の異物がわかるように無色透明でなければならないとされています。
しかし戦時中の牛乳瓶はビール瓶などを再利用して作られてたものが多く、黒い牛乳瓶が流通していました。
また皮は戦争のために優先して使うという法律が出来たために、ツルを編みこんだり紙で作られたランドセルもあったそうです。
そこまでして挑んだ戦争に何の意味があったのだろうと思うと当時の辛さが思いやられます。
感想&まとめ
最初は兵士たちの楽しみとして送られていたビール。しかし武器も足りなくなり、あらゆるものを使わないといけない状況で考え出されたのが「ビール火炎瓶」です。
物資が不足して満足に武器も用意できない状況で最新の武器を持ったアメリカ兵と戦わなければならない気持ちはどんなものだったのでしょう?
戦時中は戦わない人達は非国民として扱われていたという話はよく聞きます。
戦争を知らない現代では考えられない話ですが、当時の風潮はそれが当たり前だったのでしょう。
国を導く指導者の考え方ひとつで国の意識も変わってしまうというのは恐ろしい事だと思います。
<所さん!大変ですよ 不思議なビールの物語のまとめ>
・日本のビールは当時の日本兵の唯一の楽しみだった
・物資が不足してビール瓶さえも武器になってしまった
・武器が無いのに戦わなくてはいけない当時の風潮
・戦争は人の冷静さを奪い、考え方も変えてしまう