2017年5月2日、ホノルル国際空港がダニエル・K・イノウエ国際空港に改名されました。
このダニエル・K・イノウエ氏とはどんな人物なのでしょう?
■第二次世界大戦の英雄
ハワイ大学で医学を学んでいたダニエル・K・イノウエ氏、アメリカ軍に志願した後、ヨーロッパ前線で戦う事になりました。
イタリアでのドイツ軍との戦いにおいて敵の攻撃をかいくぐって陣地を攻略、敵の攻撃を受けて自分の右腕を失っても後退を拒否、その状態のまま小隊を指揮して敵陣地の占領に成功しました。
自らの身をかえりみずに行ったこの行動は英雄的な行為として後に名誉勲章を受けることになります。
■政治家への転身
医学への道を望んでいたダニエル・K・イノウエ氏だが、右腕を失ったことにより断念。
ハワイ大学で新たに政治学を学び卒業、その後ジョージ・ワシントン大学法科大学院に進み、J.D.(法務博士)の称号を得ました。
その後政界に進出、ハワイ議会議員から連邦下院議員、上院議員と順調に政治家としてのキャリアを積み上げました。
■政治家としての主な功績
・ウォーターゲート事件(1973年)、イラン・コントラ事件(1987年)の上院調査特別委員会委員長
・エリック・シンセキ大将の陸軍参謀総長就任に尽力
・日米貿易摩擦問題時には対日批判の急先鋒として活躍
・日本の慰安婦問題時には謝罪を続けてきた日本の姿勢を認めてアメリカからの更なる謝罪依頼を反対
死去した際には、生涯を通して日米関係に積極的に尽力した功績には当時の野田首相からも感謝のコメントが贈られました。最終的な立場は上院仮議長、これは大統領が倒れた場合に代わりに就任する第3位の立場ですがアジア系の人物としては初めての就任だったそうです。
■死去の際に行われたケタ違いの待遇
2012年12月17日、メリーランド州にあるジョージ・ワシントン大学附属病院で呼吸器合併症のため死去。
最後の言葉は「アロハ」だったそうです、何か人物的な大きさを感じます。
死去の際にはオバマ大統領が「真の英雄を失った」「彼が示した勇気は万人の尊敬を集めた」とのコメントが贈られ、国防長官、国務長官、軍事委員長などから功績を称えられました。
また、遺体はアメリカ合衆国議会議事堂中央にある大広間に安置された。この行為は一部の大統領や功績があった議員に限られ、アジア系の人物としては歴史上初めてだったとのことです。
■ダニエル・K・イノウエ氏の名前が冠せられた3つの施設
・Hart-Dole-Inouye Federal Center(ミシガン州バトルクリークにある病院)
・ダニエル・イノウエ(DDG-118)(アメリカ海軍のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦)
・ダニエル・K・イノウエ国際空港(Daniel K. Inouye International Airport (HNL))元ホノルル国際空港
■まとめ
日本人の父と母の間にハワイで生まれたダニエル・K・イノウエ氏。生まれ育ったアメリカを愛していたのでしょうか、第二次世界大戦ではアメリカ軍に志願して英雄的な働きを示しました。その後は日米関係にも積極的に関与し、友好的な関係を築き上げる事に尽力されていたようです。日本ではまだまだ知名度が少ないダニエル・K・イノウエ氏ですが、同じ日本人として誇りに思えるような人物だと思います。
そんなダニエル・K・イノウエ氏の名前がハワイの空港に名付けられることによりその功績が後々まで語り継がれるということはアメリカにとっても日本にとっても良いことだと思い、ちょっと心が温まる話題でした。
先人の功績は忘れずに自らの糧として活かしていきたいものですね。